2010年7月26日月曜日

棲家の遍歴 - 09 : サラマンカ - 間取リックス&住マップ


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間取リックス:
Paseo de las Canalejas / カナレハス通りのアパート

築5年ぐらいの新しいPiso / ピソ(集合住宅:日本で言うところのマンション)の2階。

1977年秋頃から1978年12月までこのPisoに住んでいた。

ここに住む前は、とても親切な大家さんが切り盛りする下宿屋に住んでいた。

しかし友人たちを自由に招いたりすことが出来ず、また同じような食事に飽きたこともあり、共同でPisoを借りることになった。

とても妙な話だが、当時スペイン人はアメリカ人、ドイツ人、または日本人にPisoを貸したがった。スペイン人は家賃を踏み倒すことが多かったらしいからだ。その点、外国人は金払いが良く、安心して貸せたらしい。

そういう理由で、私が代表として不動産屋に向かい、賃貸契約を交わした次第。

4帖程度の小さな部屋だったが、まだ荷物も少なく、窮屈感はなかった。

一番奥の大きな部屋では、知的障害を持っている子どもたちのための教室を同居人が開いていた。

広いリビングやルーフバルコニーも気に入った。しかし何より一番嬉しかったのは、新しい建物だけに、熱いお湯が勢い良く、たっぷり出たこと。ようやく誰に気兼ねすることなく、何時でも暖かいシャワーを浴び、何時でも暖かい風呂に入れるようになった。

そしてセントラルヒーティングもやたらと良く効き、冬の間はとても暖かかった。しかしそれでも私は冬の間、安物のブランデーをぐびぐび飲み続けていた。

この部屋で将来のプランを練り、スペインを引き払い、フランス行きを決意した。


住マップ:
Paseo de las Canalejas, 21 / カナレハス通り21番地

ここはサラマンカの中心部をぐるっと取り巻く、環状道路に面したところだ。

そこは同じような新しい建物が続く、少し味気ない通りだった。建物の入口玄関も似たようなもので、引越した当初は入口に絡まる蔦のような植物を目印にしていた(今でも残っているようだ)。

以前住んでいた下宿屋と比べると、中心地からず~っと離れたところだが、サラマンカ自体が小さな街なので、それほど不便は感じなかった。

私が住んでいた頃、建物の東側は未開発の更地で、その向こう側にはスペインの国鉄、RENFE / レンフェ(Red Nacional de los Ferrocarriles Españoles)の線路があった(今もあるようだ)。

昼間、列車の通過音はほとんど聞こえなかったが、周りが静まり返った夜中には長距離列車の通過音が微かに聞こえた。

それは哀愁を帯びた、少し切ない響き。

「私は故郷へ ~ 帰ります~ ♪ 今宵の列車に ~ 揺られて ~ ♪」 こんな演歌風の歌詞が思い浮かんだ。

そして1978年の師走、私は長距離列車に乗り込み、サラマンカを去り、パリへ向かうことになる。

update 2010/07/26

棲家の遍歴 : 序
棲家の遍歴 - 01 : 八尾市
棲家の遍歴 - 02 : 大阪市天王寺区
棲家の遍歴 - 03 : 枚方市
棲家の遍歴 - 04 : 豊中市
棲家の遍歴 - 05 : 富田林市
棲家の遍歴 - 06 : 枚方市
棲家の遍歴 - 07 : サラマンカ
棲家の遍歴 - 08 : サラマンカ
棲家の遍歴 - 09 : サラマンカ
棲家の遍歴 - 10 : パリ
棲家の遍歴 - 11 : パリ
棲家の遍歴 - 12 : パリ郊外
棲家の遍歴 - 13 : パリ郊外
棲家の遍歴 - 14 : 豊中市
棲家の遍歴 - 15 : 富田林市
棲家の遍歴 : 終

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