2010年6月4日金曜日

カラヤン録音小史 - 03


カラヤンはEMIとの契約を残しながら、1958年10月にはDG(ドイツ・グラモフォン)と、12月にはDECCAと契約を結ぶ。

長い歴史を持つクラシック音楽のレコードレーベルで、ベルリン・フィルと専属契約していたDGとの契約は理解出来ても、なぜカラヤンはDECCAとまでも契約を結ぶ必要があったのだろうか?



使えるオーケストラ、アメリカにおけるレコード販売力、録音技術のレベル、この3点が理由で、カラヤンはDECCAと契約したのではないだろうか。

1956年にカラヤンはウィーン国立歌劇場総監督に就任するが、DECCAと契約を結ばない限り、カラヤンはウィーン国立歌劇場のオーケストラ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と録音することは出来なかった。

なぜならDECCAは1951年からウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と完全専属契約を結んでいたからだ。

またDECCAはアメリカのメジャー・レーベル、RCAと1956年から提携していたので、アメリカに強力な販売網を持っていた。この巨大マーケットをカラヤンは見逃さない。

またこの提携に付随して、RCA所属の音楽家と自由に録音が出来るというメリットもあった。

そして当時のDECCAは最先端の録音技術を持っていた。

DECCAは1941年頃、第2次世界大戦中に潜水艦の音を聞き分ける目的として、ffrr (Full Frequency Range Recording / 全周波数帯域録音)という画期的な高音質録音方式を開発し、1945年には ffrr 仕様のSP盤を、1950年には ffrr 仕様のLP盤を発売する。

1958年7月、DECCAは ffrr の技術を受け継いだステレオ・レコードの発売を開始し、ffss (Full Frequency Stereophonic Sound / 全周波数立体音響)をキャッチ・フレーズに、自社ステレオ録音の優秀性を強くアピールしていた。

最新技術好きにカラヤンにとって、DECCAの優れたステレオ録音技術やレコードでの再生技術は魅力的なものだった。



DECCA側にとっては、虎の子オーケストラ、ウィーン・フィルとの関係が悪化していた時期だけに、知名度も高く、当時一番勢いのある指揮者、帝王・カラヤンを獲得することはウィーン・フィルとの関係改善策として有効な手段になる。

ここでカラヤンとDECCAの思惑が一致する。



では、まず手始めにR・シュトラウスの《ツァラトゥストラかく語りき》の録音から・・・。


R・シュトラウス / ツァラトゥストラかく語りき
ヘルベルト・フォン・カラヤン
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1959年(DECCA)

導入部は映画『2001: A Space Odyssey / 2001年宇宙の旅』(1968年公開)で派手に使用され、一躍有名曲 の仲間入りを果たす。

しかしDECCAは演奏者名を明記しない事を許諾の条件としたので、エンド・クレジットでは曲名しか表示されていない。

このことで後日カラヤンとDECCAの間で一悶着起こる。

カラヤン録音小史 - 序
カラヤン録音小史 - 01
カラヤン録音小史 - 02
カラヤン録音小史 - 04 ・・・ つづく
カラヤン録音小史 - 05
カラヤン録音小史 - 06
カラヤン録音小史 - 07
カラヤン録音小史 - 08
カラヤン録音小史 - 09
カラヤン録音小史 - 終

update 2010/06/04

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