2010年6月3日木曜日

カラヤン録音小史 - 01


カラヤンの録音史おおまかに3つの時期に分けてみた。

第1期:1946年~1960年 EMI時代
第2期:1960年~1970年 DECCA、DG(ドイツ・グラモフォン)時代
第3期:1970年以降 EMI、DG(ドイツ・グラモフォン)時代



第二次世界大戦後、ナチス党員であったことを理由にカラヤンは公開演奏停止処分を食らっていた。

EMIの名物プロデューサー、Walter Legge / ウォルター・レッグがウィーンでカラヤンに出逢ったのはこの頃。

イキのいい若手の指揮者を探していたレッグに誘われ、カラヤンはEMIでレッグのプロデュースの元、1946年9月からせっせとイギリスで録音を開始する。

ドイツ音楽界に君臨していたWilhelm Furtwängler / ヴィルヘルム・フルトヴェングラーもカラヤンと同様にナチ協力を疑われ、演奏禁止処分を受けていた。

1947年に「非ナチ化」裁判で無罪判決を得て、音楽界に復帰したフルトヴェングラーはカラヤンに対し異常な嫉妬心を抱き、いたるところでカラヤンの活動を妨害するようになった。

活動の場が制限されたこの冬の時代、カラヤンはレッグとのコンビで、将来を見つめながら、黙々と大量の録音を行っていた。

しかしレッグは当時の音楽界のドン、フルトヴェングラーの録音も仕切っており、ある意味では新旧二人の指揮者に二股をかけていた訳で、後にこの事がレッグのEMIでの立場を悪くするが、これはまた別の話。



時代の新しい “何か” を持っていたカラヤンはレッグにとって自分の理想の録音を実現するためのには欠かせぬ存在であり、録音の商業化=レコード販売がもたらす大きな可能性を敏感に理解していた最良のパートナーだったのだろう。

1940年代後半から1950年代半ばまで、二人は持ちつ持たれつの関係だった。

1948年6月、アメリカのコロムビア社が直径LPレコードの発売を開始し、家庭で本格的な音楽が楽しめる時代が始まる。



プロデューサーは録音に対して最終責任を負う立場にある。

だからレッグはカラヤンの音楽に対しても忌憚の無い意見を述べ、カラヤンの音楽作りに少なからず影響を与えた。そしてカラヤンはレッグを通じて、レコード・ビジネスのイロハを学んだ。

このEMI時代からカラヤンは録音を演奏会のリハーサルとして積極的に活用する。



カラヤンは1951年から1955年にかけて、ウォルター・レッグが私費を投じて設立したThe Philharmonia Orchestra / フィルハーモニア管弦楽団を指揮し、最初のベートーヴェン交響曲全集(モノラル録音 ※一部ステレオ録音)を完成させる。


ベートーヴェン交響曲全集
ヘルベルト・フォン・カラヤン
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1951年~1955年(EMI)

この交響曲全集はレッグ&カラヤンの黄金コンビが残した録音の一つのピークではないだろうか。

“レッグ&カラヤン・ファクトリー” が1946年9月から生み出した多くのレコードは、当然EMIに多大な利益をもたらし、カラヤンには多大な利益と共に、他の指揮者が得ることが出来なかった国際的知名度をもたらした。

カラヤン録音小史 - 序
カラヤン録音小史 - 02 ・・・ つづく
カラヤン録音小史 - 03
カラヤン録音小史 - 04
カラヤン録音小史 - 05
カラヤン録音小史 - 06
カラヤン録音小史 - 07
カラヤン録音小史 - 08
カラヤン録音小史 - 09
カラヤン録音小史 - 終

update 2010/06/03

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