2002年7月20日土曜日

自分史とワールドカップ / 第1章 / 第11回アルゼンチン大会


1975年9月、私は初めてスペインの土を踏んだ。

1975年11月20日午前5時25分(政府発表公式時刻)、フランシスコ・フランコ死去。37年間続いたフランコ独裁政権のは終った。

そしてスペインに政治の季節、変革の季節が訪れた。

内戦の引き金ともなった1936年の総選挙以降、実に41年ぶりの選挙となった第一回直接普通選挙は1977年6月15日に実施される。

翌年の1978年春、私はスペインを引き払い、フランスへ渡る準備を始める。

本格的な移住の前に、軽いウオーミング・アップと秋から始まるフランス語講座の受講案内書類を集めたりする為に初夏のパリを訪れた。

その時、初めてワールドカップの存在を知る。

街中のキヨスクで売っている新聞にはサッカーの写真がいつも大きく掲載されているし、バーやカフェでちらっと見るテレビではサッカー関係の番組ばかりだった。

ミッシェル・プラティニとかいう名前の凄い選手がいるらしい・・・。



第11回アルゼンチン大会
1978年6月1日~6月25日

ホルヘ・ビデラ将軍による軍事独裁政権下で開催された異色の大会。前大会の決勝戦で火花を散らしたベッケンバウアー(代表から引退)とクライフ(政治情勢を理由に不参加)の姿は無かったが、次世代のスターたち、ジーコ、ミッシェル・プラティニ、パオロ・ロッシがデビューした。

12年ぶりに出場したフランスは若いプラティニを中心にチームを構成するが1次リーグで敗退。

優勝したのは開催国であるアルゼンチン。延長の末、3 - 1でオランダを下した。

青と白のユニフォームに10番を付けたマリオ・ケンペスはマラドーナと肩を並べるアルゼンチンのストライカー。6ゴールを叩き出し、得点王のタイトルを獲得する。

update 2002/07

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