2004年3月30日火曜日

愛しのナタリー・ウッド / 『ウエスト・サイド物語』


“昭和の香り” を書いている時、衛星放送で『ウエスト・サイド物語』(61年)を観た。

この映画とロックは私を “旧世界” から解放してくれた。それは私が中学2年生の時のことだ。

とても思い入れがあり、大好きな作品だから、何十回も映画館で観た。今ではビデオもDVDも持っている。しかしそれでもテレビで観てしまった。



何かの予兆を感じながら、それを観たり、それを聴いたりした直後、自分が確実に変わっていくのを体感したことが数回ある。それはまるで脊髄から侵入した何者かに、背骨を強烈にねじられたような感覚だ。

もう自分は今までの自分ではない・・・




『ウエスト・サイド物語』を観た後、私はそれまでと違う自分になっていた。

レナード・バーンスタイン作曲による強烈な音楽。あまりにも見事なダンスと振り付け。よどみなくスピーディーに展開する若者たちの二日間の物語。そのいずれもが、とんでもない力で自分を打ちのめした。

そして何よりもナタリー・ウッド / Natalie Wood の美しさ、だ。

「Por favor, Anita ! 」 という台詞から始まり、「Te adoro, Anton.」 で終るまで、ナタリー・ウッドの美しさは銀幕いっぱいに溢れていた。

白いドレス姿、薄いパープルのナイトガウン姿、真赤なワンピース姿に黒いショール。そ して撃たれた瀕死の恋人を抱え、励まし、祈るエンディング・シーン。彼女が叫ぶ 「Because, now I have hate ! 」 は今でも頭の中で響き渡っている。

中学2年生の私にとって、彼女はあまりにもまぶしかった。こんなに美しい女性が世の中に存在するという事自体が信じられなかった。そして彼女は私にとって女性美の象徴となった。それは今も変わらないし、これからも変わらないだろう。

しかしナタリー・ウッドは1981年11月29日、撮影中にボートの転覆事故で命を落してしまった。その時彼女は43歳だった。

ある日を境に、私はナタリー・ウッドよりも年上になった。だが彼女の美しさは燦然と私の中で輝きつづけている。『ウエスト・サイド物語』の中で出会った20代前半のナタリー・ウッドは、いつまでも私より年上の、綺麗な女性のままだ。



こんなに惚れてしまったから、今でもナタリーという名前を聞いただけでドキドキしてしまう。だから “ナタリー何とか” という名前の変な芸能人が出現しないことを祈っている。たとえ世の中が許しても、私には許せないものがあるのだ。


West Side Story / ウエスト・サイド物語
サウンドトラック版

update 2004/03

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