2003年2月28日金曜日
音楽が聴けない時 / 音楽の捧げもの
音楽はすぐ隣にいた。
小学生の頃は音楽の授業が一番嫌いだった。
しかし中学生になり、ポンコツのラジオ(未だ真空管のヤツだった)を貰い、深夜放送を聞くようになってから、音楽はいつもすぐ隣にいた。
歌謡曲ではなく、洋楽が好きだった。なんとなく外国の匂いがしたし、すごくカッコよかったからだ。
どこがどのようにカッコいいのか?と訊ねられても説明に困るが、例えば吉村道明より断然ウイルバー・スナイダーの方がカッコいいのと同じ理屈なのだ。この例えは昔のプロレス・ファンにしか判らないだろうけれど。
親父から古いステレオを譲り受け、レコードを毎日聴きたおす日々を送り始めたのもその頃からだ。
すぐ隣にいた音楽が去年の夏頃から遠くへ行ってしまった。
スペインに居た2年半とフランスに渡った頃はステレオが無くて、音楽といえばラジカセでFMを聴くのが関の山だった。当時は未だ若く、聴いてみたい音楽も山ほどあった。だから当然かなり重度の音楽欠乏症に苦しんだ。
しかしそれ以降は音楽と離れる事は無く、食費を削ってでもレコードやCDを買い、聴き続けてきた。半年以上もまともに音楽を聴かずに暮らすなぞ、ちょっと前なら考えられない。
音楽をあまり聴かなかった理由は単純である。聴きたくても聴けなかったからだ。
長年酷使してきたCDプレーヤーの調子が最悪だからだ。レコードで言うところの針飛び状態が多く、ちゃんと聴くことが出来ない。情報をピックアップするレンズの調子が悪いのか、これには難儀している。
だからその場凌ぎ的にCDウオークマンやパソコンを使っていた。しかし家でウオークマンで音楽を聴くのも何だか変だし、パソコンだと立ち上げるまでに時間がかかる。やはりステレオが一番だ。
音楽欠乏症で四苦八苦することが無かったのは音楽ストックが体内に残っていたからだろう。それに今までそこそこの量のロックやジャズ、クラシックなどを聴いてきたから、どうしても欲しいCDや聴きたい音楽も少なくなってきた。
100万光年離れた孤独
最近バッハの『音楽の捧げもの』が耳鳴りのように、突然聴こえることがある。
まるで暗い街角の曲がり角で誰かと不意にぶつかるように、何の前触れも無しに頭の中で突然鳴り響くのだ。
それは光の無い宇宙を一人で漂流している時に聴こえてきそうな音楽。
それは鈍く銀色に光る硬質な構造物が無限に積み重ねられたような音楽。
余分なものを全て削ぎ落とした音楽が醸し出すのは圧倒的な寂寥感。
『音楽の捧げもの』は体内の音楽切れを示すインジケーターなのだろう。
『音楽の捧げもの』は毎日気楽に聴けるようなシロモノではない。それはとてつもなく孤独で音楽の総てを瞬間冷凍で凝縮させた結晶体のようだ。
そんな音楽が頭の中で突然鳴り響くにはそれなりの理由がある筈だ。
確かにロックもジャズもクラシックもかなり摂取した。だからちょっと前までは体が音楽をそれ程必要としなかったのだろう。十分な音楽ストックが体内にあったので、それほど苦にならず音楽無しの生活が過ごせたのだろう。
だが、自分では気が付かないうちに音楽ストックは激減していたに違いない。音楽切れになる前に音楽を取り戻さなければならない。その事を『音楽の捧げもの』が音楽を代表して自分に伝えているのではないだろうか、と思う。
音楽はすぐ隣にいて欲しい。
Johann Sebastian Bach / ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
Musicalisches Opfer BWV 1079 / 音楽の捧げもの BWV
update 2003/02
※ 吉村道明は2月15日午前6時35分、呼吸不全のため死去。
“回転エビ固め” よ、永遠なれ。合掌。
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