2001年8月10日金曜日

トワイライト・ナンバー / ホテル・カリフォルニア


一度だけアメリカに行ったことがある。

それは94年6月、アメリカ・ワールドカップ直前の爽やかな気候の頃だった。

観光ではなく仕事でロス・アンジェルス郊外のパサデナという街に1週間程滞在した。

先方の担当者(当然アメリカ人)J・Cとの仕事も無事終り、帰国前日の夜、J・Cは野球観戦に招待してくれた。観に行くのは当然ロス・アンジェルス・ドジャースの試合。対戦チームは残念ながら忘れてしまった。

夕方、パサデナからJ・Cのジープでフリーウェイを飛ばして約20分程、人里離れた丘陵からドジャースタジアムは忽然と姿を表した。

とてつもなく広い駐車場の真中に野球場が小さく見える。なんでも駐車場の端に車を止めると、球場まで歩いて10分はかかるとの事。殆どの人は車で野球観戦に来るので、この程度の広さの駐車場は必要らしい。

さて、ドジャースの先発メンバーだが、ピッチャーは当時のエース、オーレル・ハーシュハイザー。野茂はその頃まだ近鉄バッファローズに所属していて、ドジャースに入団するのは翌年の事。キャッチャーは現在ニュー・ヨーク・メッツのマイク・ピアザ、外野にはその年の新人王に輝くラウル・モンデシーもいた。そして監督はトミー・ラソーダ。

ちなみにドジャースは92年から96年まで5年間連続でナショナル・リーグの新人王を輩出している。

92年 エリック・ケアロス
93年 マイク・ピアザ
94年 ラウル・モンデシー
95年 野茂英雄
96年 トッド・ホランズワース

野球も面白かったが、天然芝が美しい球場とスタンド内の雰囲気も楽しかった。家族連れで観戦するファンとピーナッツ売りの名物オヤジとのやりとりも面白く、 遠くにいるオヤジに手を振って合図をすると、袋入りのピーナッツを絶妙のコントロールで投げてくれる。それに名物ドジャードッグ(ホットドッグ)も美味だ。私はこんなB級・ファーストフード系の味が大好きだ。

しかし何といっても一番素晴らしかったのはスコアボードの後ろに映える鮮烈で広大な黄昏の美しさ。

ヨーロッパと同じように緯度の関係でアメリカでも黄昏の時間は長く、赤から紫、そして濃紺へと変わる空の色を見ているだけでも飽きない。空気が乾燥しているせいか、その色は日本よりずっと鮮やかだ。

ドジャースカラーのブルーと天然芝のグリーン、そして刻々と変化する黄昏のカラー・ヴァリエーション。鮮やかな色が刻々と憂いを帯びた色に変わるのを見ながらけだるい廃頽感に包まれる一時。

全てを放り出して、全てをリセットしてずっと “ここ” にいたい。人をそんな刹那的な気分にさせてしまう程美しい黄昏。



But you can never leave ...



オルゴールのようなアコースティック・ギターのイントロから始まり、乾いた音のドラムが響く。その後に続く哀愁を帯びたヴォーカルからエンディングの焦燥感溢れるギター・ソロまでの濃厚かつ重厚な数分間。

イーグルスの名曲、《ホテル・カリフォルニア》ほど黄昏のもつけだるい廃頽感を見事に表したロック・ナンバーは無い。

砂漠のハイウェイをドライブしていた男は一夜を過ごすため、あるホテルに立ち寄った。そのホテルに滞在する人々の暮らしは豪勢でとても魅力的だった。しかしそのホテルの堕落に気づいた男はそこから立ち去る決心をするが、ボーイは「チェックアウトは何時でも出来ますが、ここから去ることは出来ません」と冷たく伝える。出口のないホテル、迷宮からの逃げ道を探して走り回る男・・・。

歌詞はイーグルスが取り囲まれている音楽業界、カリフォルニア文化に対する批判ではあるが、音楽そのものが醸し出すのは、カリフォルニア的というよりヨーロッパ的で、爛熟した文化が最後に産み落とす廃頽感だ。

ドジャースタジアムで見た黄昏はある一日の最後の輝き。そして鮮やかな空の色の向こう側から微かに聞える《ホテル・カリフォルニア》。その時からこの曲は熟し、乱れ、崩れる瞬間の美しさの象徴になった。

そう、《ホテル・カリフォルニア》はトワイライト・ナンバーになった。

誰も流れる時間から立ち去ることは出来ない。


Eagles / イーグルス
Hotel California / ホテル・カリフォルニア

update 2001/08

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