2004年11月5日金曜日

タイムドメイン社のスピーカー / ケルン・コンサート


春先に仕事仲間から一通のメールが届いた。

従来の理論とはまったく別の理論で設計されたスピーカーがあり、その音はとてつもなく素晴らしいとの事だった。

オーディオには興味がある。だがその時は「ふ~ん」という感じで受け流した。しかし何かの縁でゴールデン・ウイーク前にそのスピーカーを作っている会社、タイムドメイン社を取材することになった。場所は奈良県生駒市。

あいにくその日は大雨で、私と同僚、それとライターの三人は近鉄・学園前駅からタクシーで行くことにした。バスでも行けるが、この雨ではバス停からタイムドメイン社に着くまでにびしょ濡れになってしまう。

タイムドメイン社は(財)奈良先端科学技術大学院大学支援財団が運営する高山サイエンスプラザ内にある。その日は夕方で大雨だったためか、人気もなく、敷地内にはなんとなく閑散とした雰囲気が漂っていた。今風のモダンで無機質、無愛想な建物に入り、ひんやりとした静かな館内を歩きながら、タイムドメイン社を探した。



ノックしてからドアを開けると、広いフロアにくたびれた茶色のポロシャツを着たおじさんが一人たたずんでいた。 もう60歳を越えているだろう。しかし妙に若々しい。そんなポロシャツ姿のおじさんに自己紹介し、訪問理由を述べる。するとそのおじさんは我々を中に招き入れ、名刺をおもむろに取り出した。

そこには代表取締役・由井啓之と記されていた。う~ん、茶色のポロシャツ姿のおじさんは社長だったのだ。お掃除のおじさんではなかったのだ。

そして由井社長は高さ1メートル・直径10センチくらいの灰色の筒を2本運び始めた。



キース・ジャレットがそこにいる



キース・ジャレットがそこで唸りながらピアノを弾いている。

試聴に使ったのはキース・ジャレットの名盤『ケルン・コンサート』だ。

由井社長がセットした不思議な灰色の筒からキース・ジャレットの音楽が零れ出ている。それも今までに聴いた事もない程クリアで自然な音色で。

その不思議な筒がスピーカーで、その先には直径CD程度、厚さ5センチ程度の小さなアンプ、そしてソニーのCDウオークマンが繋がっているだけだった。

そんな簡素(?)なシステムながら、筒の先から出てくる音はハイエンドのオーディオ機種顔負けのものだ。それにいくら高級機種を導入しても、部屋の改築をしなければこんな音は出ないだろう。私がいたのは70㎡程度のありきたりのオフィスで、特別な反響板のような装置も何も無い。

口をあんぐり開けながら、放心状態の私に追い討ちをかけるべく、由井社長は部屋を出て音を聴いてみることを薦めてくれた。

ドアを開けたまま、廊下に出て4~5メートル進んでみる。するとまるで今までいた部屋でキース・ジャレットがピアノを弾いているように聴こえる。音量こそ少ないがピアノのサウンドの輪郭が崩れること なく聴こえてくる。

呆れた顔で部屋に戻ると、由井社長が怒涛の猛攻を仕掛けてきた。アンナー・ビルスマが演奏するバッハの無伴奏チェロ組曲、ケニー・ドーハムの『静かなるケニー』、モーツァルトのピアノ協奏曲21番、ドアーズのファースト・アルバム、津軽三味線、子供用の童謡集。

いずれもが素晴らしい音で細部まで再現される。それにいくら聴いても疲れないのが不思議だ。頭がキリキリと痛むような疲労感がないからいくらでも聴けてしま う。それだけ音が自然だという事だろう。

不思議の筒から流れる音楽を聴きながら、取材を進めていると私の同僚の顔色が段々と蒼ざめてき た。ちょっと腹を立てているようにも見える。

無理もない。彼はオーディオ好きで、自分の装置には300万円以上の投資をしている。ぶっきらぼうな灰色の不思議な筒から聴こえる音は彼自慢の装置の比ではないらしい。それに今まで彼が学んだオーディオ知識までもが由井社長に全て否定されたのだ。



今まで何を聴いていたのか?



2時間以上も不思議の筒スピーカーを聴いた後、その下位機種であるジェット・エンジンのような形をした小型スピーカーも試してみた。

パソコン対応も出来るので、由井社長はアップル社のiBookにその小型スピーカーを繋いだ。今度はDVDを再生しながら音をチェックしてみることにした。 茶色のポロシャツ姿が神々しく見えてきた由井社長が選んだのはケビン・コスナー、ホイットニー・ヒューストン主演の『ボディ・ガード』だ。

当然スピーカーのサイズも出力も違うので、音の広がりは不思議の筒スピーカーには及ばない。だが細部に至るまでの自然な再現力は劣らない。ナイフが飛ぶ音や 銃弾の音はまるで部屋の空気を切り裂き、突き抜けるようだ。会話の部分では英語の発音がはっきりと聞き取れる。唇や舌の動きがまるで手に取るように分かる のだ。

そしてホイットニー・ヒューストンが「And I ~ ~ ~ always love you ~」とテーマ曲を歌いだすと、音は水平に、まるで溢れた水のように一面に広がる。



いやはや由井社長はとんでもないスピーカーを開発したものだ。

不思議の筒スピーカー(2本)と亀のような丸い特製アンプがセットで315,000円。それが高いか安いかはその人の音再生に対する思い込み次第だ。だがこの金額は平均的なサラリーマンなら何とか捻出可能な金額ではないだろうか。普通の建売住宅やマンションのリビングで、いい音で音楽をじっくり楽しみたいなら、この不思議の筒スピーカーセットは殆ど究極の選択ともいえるだろう。

またパソコンや ipod に繋いで自分の部屋で音楽を聞いたり、DVDを見たりするのには小型スピーカーで十分だ。価格は18,900円と通常のパソコン用スピーカーよりも高いが、ミニ・コンポよりっずっと安いし、その音質は比ではない。

長い間オーディオが故障していて、まともに音楽が聴けない日々が続いていた私は両方とも購入することにした。こんな音を聴いてしまったら買うしかないではないか。それに音楽が聴けずに困っていたのは私だけではない。嫁さんもだ。家から音楽が無くなってもう一年以上になる。

ゴールデン・ウイーク直前に届いた不思議の筒スピーカーはリビングに設置し、小型スピーカーは四畳半の自室にセットしている。嫁さんはリビングにある不思議の筒スピーカーでユーミンやアバ、ピアノ・ソナタなんかを昼間に聴いているようだ。私は帰りが遅くなった時、自室の小型スピーカーでジャズを聴いている。

不思議の筒スピーカー “Yoshii 9” と小型スピーカー “Timedomain Mini” が届いてからは飲みに行く回数がめっきり少なくなった。

だが飲む代わりにCDを買うようになったので、懐具合の寒さは以前とさほど変わらない。

お家で飲もう。いい音楽を肴に。


Keith Jarrett / キース・ジャレット
The Koln Concert / ケルン・コンサート

update 2004/11

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