2009年12月28日月曜日
追悼 : Bob Willoughby / ボブ・ウィロビー
平成21年12月28日朝一番。「また今年も年末まで仕事やなぁ~」と思いつつ、会社でメールをチェックすると、訃報が届いていた。
さる12月18日(金)にBob Willoughby / ボブ・ウィロビーがガンのため、ヴァンスの自宅で亡くなられたとの事。彼の日本でのマネージメント会社からのメールだった。
毎年12月中旬にはボブ・ウィロビーから素敵な手製のクリスマスカードが届いていたので、嫁さんと二人で何かあったのでは? と心配していた矢先の訃報だった。
1927年6月30日、ロサンゼルスで生まれたボブ・ウィロビーは有名なグラフィック・デザイナー、Saul Bass / ソウル・バスに師事。その後はフリーカメラマンに転身し、ジャズ・ミュージシャンたちや全盛期のハリウッドのスターたちを撮り続けた。その作品は50年代から70年代初頭までの間、『Life』『Look』『Vogue』『Harper's Bazaar』など、多くの雑誌に掲載された。
受賞歴も数多く、1998年にはアカデミー賞の選考・授与を行う映画芸術科学アカデミー(AMPAS)よりその功績を称える賞を受賞し、2004年には国際写真賞(Lucie Award)映画スチル写真部門の功労賞を受賞する。
ひょんなことでボブ・ウィロビー(以下:ウイちゃん)に仕事を依頼することになり、打合せのため、南仏に住むウイちゃんと奥様のドロシーに神戸まで来ていただくことになった。それは暑さが厳しい1994年の7月だった。
細々とした仕事の打合せや契約が終り、さて観光や食事などのアテンドとなると、私とウチの嫁さんがウイちゃんとドロシーをお世話をする事になった。
神戸や京都を案内しながら、ウイちゃんから50年代~70年代のハリウッドの内幕やスターたちの素顔、ルイ・アームストロングやマイルス・デイヴィス、ジェリー・マリガンなどジャズ・ミュージシャンを撮影した時の苦労話など、本当に興味深い話を沢山聞くことが出来た。
本職がカメラマンだけに、何処へ行くにも重い撮影機材を一式持って行かねば気が済まないので、まだ若くて元気だった私が撮影機材を一式抱えていつもお供した。その労をねぎらい、ウイちゃんが私を “日本での公認アシスタント1号” に任命してくれたのは嬉しい思い出の一つだ。
観光地での興味の対象も独特で、清水寺や金閣寺を案内した時には建物は一切撮影せずに、訪れていた学生服姿の学生たちや、ご年配の観光客ばかりウイちゃんは撮影していた。一番興味があるのは人物の表情だとの事だった。
また神戸牛の柔らかさと脂身の多さに開口し、もっと硬くて歯ごたえのある、赤身だけのステーキが食べたいと言い出した時には難儀したが、今では硬いステーキを食べると、ついついこの時のウイちゃんを懐かしく思い出してしまう。そして私も歳を取ったせいか、霜降りの牛肉よりも赤身だけの牛肉を好むようになった。
そんなこんなでウイちゃんとは家族ぐるみで親しくなり、クリスマスカードの遣り取りがずっと続き、仕事ではウイちゃんが撮り貯めたスターたちの写真展を何度も企画・開催してきた。
しかしもう洒落たお手製のクリスマスカードも貰えないし、写真展を開催してもウィットに富んだ挨拶文も貰えない。
淋しく、残念。
ボブ・ウィロビー:享年82歳。
合掌。
update 2009/12/28
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自分史
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