2004年10月10日日曜日
Stravinsky, Igor / イーゴル・ストラヴィンスキー
Stravinsky, Igor 1882-1971
ある時期、《春の祭典》にハマッた。
続いて聴いた《ペトルーシュカ》も気に入ったが、《火の鳥》組曲版にはあまり感心しなかった。しかし全曲版(1910年版)を聴いてみると、「なるほど!」と素直に感心した。この3曲を短期間に連続して聴き込んだ為か、今でもこの3曲は何となく1セットみたいな気がする。
《火の鳥》1910年
《ペトルーシュカ》1911年
《春の祭典》1913年
この3曲はロシア人興行師、セルゲイ・ディアギレフからの依頼を受け、ロシア・バレエ団用にストラヴィンスキーが短期間に作曲したもの。
当時未だ無名だったストラヴィンスキーの力量を見抜いたディアギレフの眼力には恐れ入る。
L'Oiseau de Feu / 火の鳥 全曲版(1910年版)
Seiji Ozawa / 小澤征爾
Orchestre de Paris / パリ管弦楽団
rec. 1972
Pierre Boulez / ピエール・ブーレーズ
New York Philharmonic / ニューヨーク・フィルハーモニック
rec. 1975
Colin Davis / コリン・デイヴィス
Amsterdam Concertgebouw Orchestra / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
rec. 1978
《火の鳥》組曲版は多いが、《火の鳥》全曲版(1910年版)は以外と少ない。
小澤盤は躍動感溢れるカラフルな “火の鳥” に仕上がっている。その飛行姿勢は堂々たるものだ。
ブーレーズ盤はまるで近代医学による “火の鳥・解体新書版”だ。研ぎ澄まされたメスを持つ名外科医が細部まで正確に描きだす。
デイヴィス盤は知性的で、理科系の “火の鳥”。オケと録音会場の特性か、穏やかな色をした “火の鳥” が広い空間をゆったり飛んでいる。
Petrushka / ペトルーシュカ
Leonard Bernstein / レナード・バーンスタイン
New York Philharmonic / ニューヨーク・フィルハーモニック
rec. 1969
Claudio Abbado / クラウディオ・アバド
London Symphony Orchestra / ロンドン交響楽団
rec. 1980
私にとって《ペトルーシュカ》は雪の日の音楽。
しかしこの曲は雪の日とは全く関係がない。命を吹き込まれて恋を知る人形の物語で、つまりロシア版ピノキオみたいなものなのだが、なぜか《ペトルーシュカ》を聴くと雪の日のイメージが頭の中をよぎる。
《ペトルーシュカ》は1910年から1911年にかけて冬の間に作曲されたもだけに、ストラヴィンスキーは曲中にこっそり “雪景色” を挿入し、サブリミナル効果を狙ったのだろうか?
そんな事はありえないが、それ程私にとってこの曲は雪の日のイメージと結びついている。不思議だ。
そして好んで聴くのが、雪の日のイメージから程遠く、基礎体温の高そうなバーンスタインが指揮した《ペトルーシュカ》。これまた不思議だ。
Le Sacre du Printemps / 春の祭典
Claudio Abbado / クラウディオ・アバド
London Symphony Orchestra / ロンドン交響楽団
rec. 1975
Igor Markevitch / イーゴリ・マルケヴィチ
The Philharmonia Orchestra / フィルハーモニア管弦楽団
rec. 1959
Otmar Suitner / オトマール・スウィトナー
Staatskapelle Dresden / シュターツカペレ・ドレスデン
rec. 1962
《春の祭典》は逆進化の産物とでも言うべきだろうか。
《ペトルーシュカ》や《火の鳥》と比べるとロシア的な郷土色は薄れ、曲中には無国籍でプリミティヴな匂いが漂う。そしてリズムは前二作よりもずっと荒々しく逆進化し、曲全体を支配する。
派手な管弦音による緩急のとれたリズミカルな構成が際立っていた《ペトルーシュカ》と比べてもそのリズムはより攻撃的で、重く、情け容赦なく他を蹂躙する。
一言で表現すると、《春の祭典》は音楽史上最大級の大暴れである。
ストラヴィンスキーは先輩の音楽家たちを前にして、「今までのあんた達のやり方は気に食わんので、これからオレは好きなようにやらせてもらいまっせ!」と仁義を切ったのかどうかは知らない。
しかしストラヴィンスキーは好きなように大暴れ。先輩たちがそれまでに築いた伝統的なものを無視し、好きなようにやってしまった。
良き理解者であったドビュッシーですら、ストラヴィンスキーは音楽ではないもので音楽を作ろうとしていると危惧していた。
だから私が《春の祭典》に求めているのは、ノーガードで打ち合う無骨なボクシングの試合のような演奏だ。顔面が腫れ上がろうが、そんな事ぁ、知っちゃいねえ!
アバド指揮・ロンドン交響楽団の演奏を一番贔屓にしているのは、それが荒っぽく、無愛想で、音が硬いところだ。
マルケヴィチ指揮・ フィルハーモニア管弦楽団の演奏は、そのぐいぐい加速するスピード感とキレの鋭さが素晴らしい。
ちなみにこの盤はクレンペラーの急病により、代打・マルケヴィチにより実現された。フィルハーモニア管弦楽団が全盛期の頃だけに、クレンペラー盤が残っていたらなと、残念。
スウィトナー指揮・ シュターツカペレ・ドレスデンの演奏は、ティンパニが大暴れ。とてつもなく荒々しく、大地の匂いがプンプンする。
《春の祭典》では生贄になる生娘が死ぬまで踊るという異教徒の祭典がテーマとなっているが、アバド盤やマルケヴィチ盤、スウィトナー盤の良いところはねちょねちょしたセンチメンタリズムや大袈裟な悲壮感のないところだ。
見事にコントロールされた暴力的な音の塊がリズミカルに炸裂する。
これはたまらん。
※ 関連ページ ≫ 《春の祭典 / Le Sacre du Printemps》 あれこれ
※ 関連ページ ≫ 追悼 : Otmar Suitner / オトマール・スウィトナー
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音楽
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