2000年9月4日月曜日

ロックの師匠 / 日曜日の印象とソニー・ボーイ・ウィリアムスン


中学2年の夏に引っ越した。

引っ越し先は大阪南部の富田林市。丘陵を切り開いたところに出来た開発中の団地だった。だから周りにはまだまだのどかな田舎の風景が沢山残っていた。

転校先の中学校は団地の中心部に建てられた新設校だった。そんな中学校だから生徒も昔からその地域に住んでた連中と色々なところから転校してきた連中とが半々だった。

私が転入した翌日、また一人転校生が入ってくるような状況だったから、転校生イジメなんかしているヒマが無い。それと色々な地域から転校生がやってくるので、結構おもしろかった。地域ごとに流行ってるものが違ったりして、みんなと話しているだけで自分の世界が少し広がる様な気がした。



この学校で出会ったヤツで、私の世界を変えたヤツが二人いる。

その一人、ギターの弾けるITO君は名古屋から転校してきた。背は低いが、ちょっと長髪で、話し方のイントネーションが少し違う。

色々話していると、ITO君はロックが好きな事が分かった。私はその頃プロレス少年で(今でもそうだが・・・)当時はロックなんてぜ~んぜん知らなかった。

家に遊びに行くと、狭い四畳半の自室でヴァニラ・ファッジやレッド・ツェッペリンなど、色々なロックを聴かせてくれた。ITO君はロックのレコード(LP)を既に50枚ぐらい持っていたのだ。当時に中学生にしては大コレクションだった。

ブルースロックが特に大好きだったITO君は『フィルモアの奇蹟』の《ソニー・ボーイ・ウィリアムスン》や《ノー・モア・ロンリー・ナイツ》なんかも頻繁に聴かせてくれた。



背骨がネジ曲る!



ロックは、まるでアントニオ猪木のコブラツイストの様に一瞬にして私の体に絡み付き、体中の骨をギシギシ軋ませた。

私はロック・ウイルスに感染し、ほぼ毎日ITO君の家に入り浸り、二人でロックを聴きまくった。

音楽も気に入ったが、ロックのレコードのジャケットデザインも気に入った。

それまでレコードとは殆ど無縁の生活をしてた中学生でもロックのレコードジャケットのデザインは他のレコード、例えば歌謡曲やクラシック、とは全然違うモノだと直ぐに解った。

ジェスロ・タルの『スタンド・アップ』、ジェスロ・タルのギタリストだったミック・エイブラハムズが結成したブロドウィン・ピッグの『アヘッド・リングス・アウト』のジャケットデザインなんかが好きだった。

ノーマン・ロックウェルがマイク・ブルームフィールドとアル・クーパーの二人をカッコよく描いた『フィルモアの奇蹟』のジャケットもロックっぽい匂いとアメリカらしい匂いがプンプンしていて大好きだった。



ジェスロ・タルは今でも結構好きなバンドだからデビュー作の『ジス・ワズ』は今でも時々思い出したように聴くことがある。日本でのタイトルは『日曜日の印象』。

イアン・アンダーソンのジャージーなフルートとミック・エイブラハムズのブルージーなギターを聴いていると、ITO君の部屋を思い出す。

マイク・ブルームフィールドは大好きなギタリストの一人だから『フィルモアの奇蹟』も時々思い出したように聴くことがある。

なかでも《ソニー・ボーイ・ウィリアムスン》は大好きな一曲。しかしギターを弾いているのはマイク・ブルームフィールドの代打(代弾?)カルロス・サンタナ。マイクは不眠症でぶっ倒れていたからだ。

アル・クーパーのスピーチの後、《ソニー・ボーイ・ウィリアムスン》のヘヴィーなイントロが始まると、ITO君の部屋を思い出す。


団地の狭い四畳半の部屋にベッドとステレオとロックのレコード。


そして当時の中学生にはロックと同じぐらい強烈なインパクトのあった、ヌード満載の平凡パンチとプレイボーイ。


Jethro Tull / ジェスロ・タル
This Was / 日曜日の印象


『The Live Adventures of Mike Bloomfield and Al Kooper / フィルモアの奇蹟』

update 2000/09

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