2001年9月25日火曜日

集団の狂気


80年代半ばの頃、フランスで働いていた時、部下に一人のラオス人がいた。

ソイスーバンはラオス空軍に所属していた軍人で、年齢は私とほぼ同じだったと思う。

一連のインドシナ情勢の為、彼とその家族はフランスに亡命し、何かの縁で私の部下として働く事になった。キツい仕事にも不平を言わず、よく働いてくれた。しかし残念ながら我々の部は廃部となり、二人ともリストラの憂き目にあった。

その後、私の引越しの時にも彼は喜んで手伝ってくれた。背は私よりずっと低いのに空軍で鍛えた体で重い冷蔵庫や洗濯機を一人で運んでくれたソイスーバン。搬入が全て終った後、床に座り込んで彼と飲んだハイネッケン・ビールの味を思い出す。

80年代半ばの頃、フランスで働いていた時、ベトナム人のタクシー・ドライバーに助けられたことがある。

その夜は風邪で苦しい中、接待で酒を飲み、深夜の帰宅となった。途中で急に気分が悪くなり、タクシーを止めてもらい、道路に吐いた後、近くのベンチで少し休んだ。

難民としてフランスに移住したそのベトナム人ドライバーは自分のミネラル・ウオーターのボトルを差し出し、おまけにタクシーのメーターを止めて、気分が良くなるまで15分ぐらい待ってくれた。

「同じアジア人なんだから、困った時はお互いに・・・」 そんな事を言いながら笑顔で待っていてくれたベトナム人ドライバー。

彼ら二人はベトナム戦争から長く続いた混乱、集団の狂気の被害者だった。



狂った祖国を見るのはつらい



人間一人が狂っていても難儀だが、集団で狂われると尚更難儀だ。

狂気を誘発する人物とその狂気を受け入れ、それを生活規範としてしまう集団。そしてその集団がもたらす混乱と恐怖。

カンボジアに悲劇をもたらしたポル・ポトの歪んだ共産原理主義やイランから狼煙が上がり、近隣国家に蔓延したイスラム原理主義。

2001年9月11日、そんなイスラム原理主義集団の狂気はWTCとペンタゴンへの自爆テロ攻撃を仕掛けた。

そして攻撃を受けたアメリカは徐々にUSA原理主義へと向かっているようだ。

国家、団体、会社、多かれ少なかれ、集団や組織には絶えず微量の狂気が付きまとう。

その狂気の量が急激に増加し、誰にも止められない状況になった時、犠牲になるのはいつも普通の人々であることを忘れてはいけない。

update 2001/09

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