2005年4月25日月曜日
老後の楽しみ / ブルー・トレイン
これはお漬物とハード・バップの妙な関係のお話。
日本の食卓に漬物あり。
お昼に定食屋で焼き魚定食を頼んでも、とんかつ定食を頼んでも、はたまたカレー屋でカツ・カレーを頼んでも、たくあんや福神漬けなど、漬物は必ず付いてくる。
その後に喫茶店でホットやアイス・コーヒーを頼んでも、漬物は必ず付いてこない。
と、言うことで、日本の食卓に漬物は必需品のようだ。
しかし私は漬物が大の苦手である。早い話、嫌いなのである。唯一食べる漬物系の食べ物は梅干だけだ。そんな訳で、どこにでも姿を現す漬物は邪魔でしかたがない。
初めて一緒に食事をする人には必ず訊かれる、「え!?、お漬物は嫌いなんですか?」にも飽き飽きしている。それに「嫌いです」と答えるのも、なんだか腹だたしい。いい歳の大人のくせに、好き嫌いがあるのが少し恥ずかしいからだ。
そんな訳で、「お漬物は嫌いなんですか?」と訊かれたら、「今は食べません。漬物は老後に楽しみに残しています」と答えることにしている。これはかなり苦しい言い訳だが、とりあえずウケ狙いの返事として「老後の楽しみに・・・」と答えている。
言い訳っぽくなるが、塩分の多い漬物なんかは、食べない方が健康にいいと思っている。毎日野菜をちゃんと食べていれば、野菜の保存食として生まれた漬物なんかを食べる必要は無いのだ。
ジョン・コルトレーンがジャズの入口だった。
20歳過ぎの頃、ジョン・コルトレーンの『At The Village Vanguard』、『Africa / Brass』 と 『A Love Supreme』をまとめて買って、毎日飽きもせずに浴びるように聴いていた。
『A Love Supreme』を収録した頃のコルトレーンが一番面白かった。
未だ若かったせいか、パリバリ・ブリブリとジャズを構築・解体するインパルス・レーベル時代のコルトレーンを夢中になって聴いていた。
だからコルトレーンの初期の名盤、『Blue Train』にはなんとなく物足りなさを感じていた。ノリはいいが、今ひとつ迫力不足だった。
蛇足になるが、ブルーノートというレーベルを意識したのはこの時が初めてだったと思う。『Blue Train』の音には満足しなかったが、そのジャケット・デザインのセンスの良さは唸った。
コル トレーンが『Blue Train』を録音したのは1957年。その頃、ニューヨークのジャズ・シーンを席巻していたスタイルがハード・バップだ。
『Blue Train』は完璧なまでの完成度を誇るコルトレーン・ハード・バップ期の名盤だ。しかし私はある意味で非常にジャズらしいこのスタイルにはあまり興味を持たず、フリー・ジャズの方へのめり込んでしまった。当時頻繁に聴いていたのはコルトレーンの『Kulu Se Mama』や『Om』、そしてオーネット・コールマンやアルバート・アイラーだった。
そして私は思った。「ハード・バップは老後に楽しみに残しておこう」 と。
お楽しみ解禁
私は去年の春に48歳になった。
そして5月にステレオを買い換えた。手に入れたのはタイムドメイン社の “Yoshii 9” と “Timedomain Mini”。
これがとんでもないスグレモノで、大音量は出ないがバランスの取れたナチュラルな音質と細部に及ぶまでの再現力は抜群だ。それに長時間聴いても音が耳に優しく、疲れないところが嬉しい。
そしてその頃に東芝EMIがブルーノートの名盤100枚を1枚1,500円で売り出した。ハード・ バップ期のものが中心で、ティナ・ブルックスやJ.R.モンテローズ、それにハービー・ニコルスなんかもある。
アルバムの選定も結構上出来で、なかなか優れた企画だ。しかし何と言っても嬉しいのは懐具合がいつも冬景色な中年サラリーマンに優しい価格だ。
だから貪るように買いあさった。そして老後の楽しみに残していた50年代半ばから60年代初頭までのハード・バップを聴きたおす毎日が続いている。
私は1956年生まれだから、生まれた頃にはこんなカッコいい音楽がニューヨークでは流行っていたんだなぁ~、などと感慨に耽りながらハード・バップを聴いている。
そう、昔のジャズは良かったのだ。そう、残念ながらロックと同じで、ジャズも既に終わっている音楽なのだ。今あるのは “ジャズもどき” で、時代の一部分を先鋭的に切り取る音楽表現ではない。
ところで何時か漬物を食べる日はやって来るのだろうか?
それは多分来ないと思う。
John Coltrane / ジョン・コルトレーン
Blue Train / ブルー・トレイン
update 2005/04
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