2002年6月21日金曜日

雨の中の二人 / ジョアン・ピントとアイルトン・セナ


2002年6月14日 仁川 / ワールドカップ・第17回日韓大会・D組最終試合

一勝一敗でこの試合を向かえていたポルトガルは、この韓国戦に勝たなければ自力で決勝トーナメントに駒を進めることが困難な厳しい状況に陥っていた。

ルイス・フィーゴやマヌエル・ルイ・コスタ、ジョアン・ピントなど “黄金世代” と呼ばれるメンバーを揃え、優勝候補に上げられていたポルトガルに余裕は無かった。

相手は一勝一分けとホームで勢いに乗っていた韓国。

だが大田で同時に進行されていたもう一つのD組最終試合では米国がポーラ ンドを相手に前半5分経過した時点で早くも0 - 2で負けていた。結果、ポルトガルは引き分けでも決勝トーナメントに駒を進められる可能性が出てきた。だが試合開始直後の時点で選手たちはそんな状況を知らず、ポルトガル勢は焦りながらも勝ちを狙っていた。

雨が降りしきる中、前半27分にポルトガルのジョアン・ピントは果敢にボールを狙いに行った。しかしそれはカニバサミまがいの強烈なタックルとなり、ピントはレッドカードで一発退場処分となる。濡れていたピッチだけに、スライディングのタイミングが微妙に狂ったのだろう。

主力MFジョアン・ピントのそんな小さなミスで黄金世代といわれたチームは10人での闘いを余儀なくされ、結局ここ一番の勝負を落としてしまった。もしジョアン・ピントではなくマヌエル・ルイ・コスタがスターティング・メンバーで出場していたら・・・。



1984年6月3日 モナコ / F-1グランプリ第6戦

その時彼はF-1参戦1年目だった。非力なトールマン・ハートを操りながらそれまでの5戦で6位に二度入賞するなど、既に輝きを放ち始め、並みのルーキーではないことを証明していた。

迎えた第6戦目は市街地がコースとなるモナコ・グランプリ。

ただでさえテクニカルなコースなのにその日は大雨に見舞われていた。

13位からスタートした彼は リタイアするマシンを尻目にぐんぐんポジションを上げる。そして32周目、彼はついにアラン・プロストをかわし、トップに躍り出る。

しかし勝負のクライ マックスを迎えた瞬間、レースは大雨を理由に突然中断される。そして規則上1周前のオーダーが最終結果となり、彼は2位でレースを終えた。

翌年、彼はロータスへ移籍し、その才能を大きく開花させる。

アイルトン・セナは雨の日に際立った速さを発揮したドライバーだ。

水たまりだらけのコース上ではグリップがきかない。雨や水しぶきで前方の視界は塞がれる。そんな最悪の状態で走るウエット・レースではマシン性能の差は少なくなり、ドライバーの力量が浮き彫りにされる。セナはそんな状況下で実力を発揮する数少ないドライバーだった。



雨に敗れた男と雨を克服した男。一人はポルトガル人、もう一人はブラジル人。しかし二人ともポルトガル語を話す。

そういえばアイルトン・セナが初優勝したのは1985年4月21日、雨の中で開催されたポルトガル・グランプリだった。

update 2002/06

つづき ・・・

私にとって、ロックのナンバーで “雨” と言えば Creedence Clearwater Revival / クリーデンスクリアウオーターリバイバルの《Have you ever seen the rain / 雨を見たかい》。

中学3年生の頃、ラジオからよく流れていた。

この曲の “雨” はベトナム戦争時におけるアメリカ軍によるナパーム弾爆撃の隠喩という説が長い間信じられていたが、作詞・作曲者のジョン・フォガティによると《雨を見たかい》はバンドの崩壊についての歌だとの事。

バンドに雨が降り掛かって来るのが見えたことを歌っているらしい。

何はともあれ、ドスの効いたジョン・フォガティのヴォーカルを楽しもう。


Creedence Clearwater Revival / クリーデンス・クリアウオーター・リバイバル
Pendulum / ペンデュラム

update 2009/10/02

0 件のコメント:

コメントを投稿