2002年5月5日日曜日

ルー・テーズが奏でるブルース


ジャズもそうだがロックも既に“新しい何か”を作り出すことが出来なくなった。

つまり一つの表現スタイルとして終焉を迎えたとも言える。今までに創り出されたスタイルに微調整を加えながら、それを市場で売れるように形を整えた大量生産的な音楽ばかりが溢れている。

ハード・ロックの簡易版、ヘヴィー・メタルなんかが典型的な “産業マーケティング・ロック” と言えるだろう。どのバンドも同じ様なルックスで、安っぽい暴力性、カルト性、それに悪質な極右的な思想などが加味されているバンドも多い。



2002年4月28日、“鉄人” Lou Thesz / ルー・テーズが86歳で亡くなった。

テーズの試合はビデオでしか、それも殆ど晩年のものしか体験していない。しかしそこからでも最盛期の頃の試合を想像することは出来る。そこにはプロレスのルーツであるレスリングの調べが重厚な低音で絶え間なく流れていた。まるでジャズやロックの名曲にブルース・フィーリングが漂っているのと同じように、そこにはレスリングの香りが充満していた。



I got the blues ...



しかしそんなレスリングの調べを聴かせてくれるプロレスラーはほとんどいない。

誰もが放つラリアットにパワー・ボム。派手な大技をこれでもか、これでもか、と見せつけるハイスパート系プロレスの申し子たちの試合はまるでヘヴィー・メタルのようだ。

それは一つのスタイルを進化・深化させたのではなく、一つのスタイルの亜種を際限なく生みだしつづけているだけだ。パターン化した曲構成にノイジーなサウンド、ギターの早弾きを競うだけのロックと同じように、ここ10数年間のプロレスの試合では大技のラッシュ、痛みの我慢比べが延々と垂れ流しのように続く。

それは誰にでも分かる単純で派手な構成に支えられたヘヴィ・メタ系 “産業マーケティング・プロレス” でしかない。そして亜流レスラーの氾濫はファンの白痴化を招き、プロレスに終焉をもたらすだろう。

そんな “産業マーケティング・プロレス” とは別に総合格闘技系の試合があるが、それはルーツであるレスリングの代価として機能するのだろうか? 

ルー・テーズの死を機会にプロレスのルーツを再考してみてはどうだろうか。

ルーツという言葉にはブルースがよく似合う。

過去をおろそかにする者に明日は無い。

バック・トゥ・ザ・ルーツ。

2002/5

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