2010年9月2日木曜日
スキンヘッドの強面男へのレクイエム
お盆休みが終わってからぎんぎらぎんの猛暑日が続き、仕事はまるでエアポケットに突入したかのように閑になった。
暑い、閑だ。
そんな訳で腑抜け状態が続いていた。
そんな時に飛び込んできたのが山本小鉄の訃報。
殺しても死にそうにないスキンヘッドの強面男、“ダイハード” な山本小鉄が急死するとは。
「やあ、小鉄君こんにちは。ぼくもこのごろ少しばかり親切になってね、小鉄君のイメージが損なわれないうちにと思い、ちょっと急だけど、お迎えに来た次第さ」 有り難迷惑な死神の声が聞こえてきそうだ。
私のようなオールドプロレスファンにとって山本小鉄とは、朋友・星野勘太郎と結成した名タッグチーム、“ヤマハ・ブラザーズ” と同義語だ。
白いパンツ、白いシューズの山本小鉄、青いパンツ、白いシューズの星野勘太郎。上背こそないものの、この二人がリング狭しとスピーディーに暴れまわる姿を観るのは快感だった。
炭酸飲料の泡が弾けるような小気味良い躍動感。反則技を交えた小憎たらしいファイトスタイル。“ヤマハ・ブラザーズ” の試合には明るくも不良チックな雰囲気が漂っていた。
トリッキーな試合運びで勝ちを拾うこともあったが、多くは潔いほどの玉砕負け。この見事な負けっぷりも “ヤマハ・ブラザーズ” の大きな魅力の一つだった。
しかし一番の爽快感は、山本小鉄の最高の見せ場、コーナーポスト最上段からのダイビング・ボディプレスが豪快に決まった時だ。今では単なる痛め技の一つに成り下がってしまったが、かつては “銭の取れる” 技の一つだった。
新日本プロレス旗揚げに参加してからは、上野毛の道場長として、後進の育成に精力を傾けた “鬼軍曹” 山本小鉄。
レスラーとしてはナンバーツーではなく、ナンバーフォーかナンバーファイブあたりでキャリアを終えたが、プロレス界への貢献度は計り知れない。
その早すぎる死が惜しまれる。
山本小鉄:享年68歳。
合掌。
Joe Satriani / ジョー・サトリアーニ
Surfing With The Alien / サーフィン・ウィズ・ジ・エイリアン
A Requiem for Kotetsu Yamamoto
A Member of The Notorious YAMAHA Brothers
弾けるようなギターサウンドが生みだすストレートな疾走感。
《Surfing With The Alien》 は爽快!痛快!豪快!
トリプル “快” のこの曲を山本小鉄に捧げたい。
キャデラックが大好きだった小鉄にピッタリの曲。
スキンヘッドのエイリアンもなんとなく小鉄らしい。
update 2010/09/02
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2 件のコメント:
「明るくも不良チックな雰囲気」とは言い得て妙。
最近も日夜筋トレを欠かさなかったそうですね。
それが突如、「ノドに何かを詰まらせた」なんていう、まるでそこらのヨボヨボ老人のような死に方をするのですから、人生はわからないものです。
ヤマハBの引退試合で、いとおしく噛み締めるようにフィニッシュのボディプレスを跳んでいた姿が、いまも目に焼きついています。
本当にプロレスが好きだったんでしょうね。
≫ みのりんさんへ
9月2日に頂いていたコメントも、どういう訳か今日発見しました。いやはやサイト管理能力ゼロ!猛省!昭和の名レスラーがまた一人姿を消し、淋しい限りです。このような淋しさを感じることが “老いる” ということなのでしょうか?
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